ペリ・プシュケース

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京都おぼえがき

所用と約束がありまして京都に行って参りました。
毎年3月の上旬に足を運んでいるような。冬景色に一区切りがつき、花灯路直前であるこの時期の京都は人が少なくて、お気に入りです。
早朝京都についたらまず清水寺に詣でて、清水坂と三年坂を下って高台寺前の珈琲屋さんで朝食、徒歩で八坂神社に参拝し、そのまま青蓮院、平安神宮、細見美術館、と東山をひたすらに北上して歩くのが、お決まりのコースです。洛中くらいなら道も覚えて来て、市バスもほとんど使わなくなりました。ひたすらに、歩く。
今回は着物だったのであまり遠出はしませんでしたが、午後からご一緒して頂いた某方(着物が私服)にも「うまく着れているよ」と言って頂けて一安心しました。写真を撮るのをすっかり忘れておりましたが…。笑

生まれてはじめてバンドのライブなるものに行ってきたのですが、始終棒立ちだった私……。なんていうか、インプットに精一杯でアウトプットに至らないんですよね。リズムに乗ってる場合じゃねえ!って感じに身体がなってしまって。どの音が自分の身体のどこに触れているのか、この音はどの楽器の音か、演奏者の指先、姿、そういうものでもうなんかいっぱいいっぱいで。ただなんていうか、白いなって思いました。舞台上には無駄なものがない。剥き出しの魂と、魂に突き動かされる身体だけがそこにある。目に見えない太陽光線みたいな灼熱の白に目の裏を灼かれて、むしろ五感も灼かれて息ができなくなるかと思った。
あと、なんていうか「力場」だなと思いました、会場が。人が集まってなにかひとつの物事に向かうって、それだけで莫大なエネルギーで、場所を力場に変えるような気がするのですよね。神事にも似ている。
言ってしまうと「和楽器バンド」のライブだったのですけれども!なんかもうあそこまで大音量だと歌詞も歌詞じゃないし、全身でひたすらに人のパワーを受けとめていた感じでした。すごい。
二日目はアサヒビール大山崎山荘美術館で、尊敬してやまない染織家であり作家でもある志村ふくみさんの作品の展示が開催されておりましたので、そちらにも伺い。研ぎ澄まされた感性と、それを具現化する技術、そこに至るまでの熱意と真摯さが改めて、とても静かに、胸にしみました。
二年前、かな。ふくみさんのご著書を拝読したときは、自分の求めていた解のひとつに出会えたような気がしていたのですが、今は少し違って。ふくみさんの解はふくみさんのものでしかなく、どれだけ私の求めているものに近いような気がしても、それは間違えで、ああ結局私は自分で探して見つけて言葉にするしかないのだ、と、感じています。というか、人の解をみて自分が求めてるものだと思い込むなんて本当に烏滸がましい。その人がその解に辿り着くまでにどれだけ学び考え体験し手を伸ばしたのかも、本を読んだだけ・展示を見ただけではわかりっこない。わかったような顔をするのは相手に対して失礼すぎる。
だから、できるだけ余計なことを考えずに、本当に静かな気持ちで、作品を見つめていました。
あと大山崎美術館で図らずしも対面することになった、モネの「睡蓮」とルドンの「女の顔」が印象的でした。

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『魂について』

 サイトを復活させてから一年ってことは、ブログの名前を変えてから一年、ってことになるのですけれども(そもそも変わったことに気づいた方がどれだけいたのかとも思うのですが)、そう言えばブログ名についてなにも語ったことがなかったなあとふと思い。いや、別に語るほどのことなんてなにもないんですけど。たまにはブログも書こう、って。

 旧サイト名が「Pneuma(意味)」で、今の写真用Tumblr名が「Psychē」で、このブログの名前が「Perì Psychês=霊魂論/魂について」。まあ単純に好きなんですよね、この言葉たちが。命であり心、霊魂であり精神、風であり息吹である。
 現サイト名の「コトカゼ」も、「Pneuma」を自分なりに一言で和訳(?)してみた結果なのだったりする。
 『霊魂論』自体は未読なのですけれども、魂については、よく考えます。そもそも魂ってなんなんだろう、あるとしたらどこからきてどこに帰っていくのだろう、わたしのなかのどこにあるんだろう。こたえなんてないってわかりながらも、考えずにはいられない。考えるたびに、なんかこう、大きな流れのような存在を感じる。大きな流れのなかにいるちいさな自分を確認する。

 「同じ魂を持つ人」っていうのは、創作で時折使われるネタではありますけれども、自分が扱ったらどうなるんだろう、と先日ふと考えていました。もう記憶も朧げなのですが『今日からマ王!』も確かユーリの魂はジュリアのものだったよなあ、とか。CLAMPの『ツバサ』は同じ魂をもつ異次元の人、が出て来たよなあ、とか。
 先日ツバサのアニメを見返して、いくら同じ魂を持っていても同じ容姿っていうのは(自分のなかでは)ありえないなあと考えたりしていました。だって人それぞれに意思があって、生まれた環境がちがえば生き方も変わるし、そもそもつがいだって変わるだろうし、つがいが変わったら遺伝子情報も変わるだろ、っていう。いやファンタジー/フィクションだからあり、と言われればそうなんですけれども。なんか釈然としなーい!となりながらも、小狼とさくらが可愛過ぎてひたすらに見ていました。あのふたりはなんであんなに可愛いんだ。

 案の定、話が飛びまくっていますね。我ながらこれは酷い。
 もうこの際話の流れなど気にせずつらつら書き連ねていくと。「pneuma」と同じく「息」の意味である「breath」も好きな言葉です。なんかちょっと発音の似ている「bless(祝福)」も好き。先刻英和辞典で発音聴いてみたら、結構音はちがったんですけれども、それでもやっぱり似ていると思うし、同系って考えるとなんだか楽しい。息をすることと祝福することが繋がっているとしたら、とても素敵なことだと思いませんか。
 息をするたびに、誰かを祝福している。

 明後日明々後日と京都に行ってきます。初の自己着付け京都なのでどきどき。
 凄まじい乱文を最後まで読んでくださったあなたに、良いことがありますように。

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